「意気地なし」「足手まとい」「好きですサッポロ」などのヒット曲で知られる、昭和ムード歌謡の男性グループ「森雄二とサザンクロス」のリーダーでコーラスを担当した森雄二(もり・ゆうじ、本名・森田綜一=もりた・そういち)さんが18日午前8時、腎不全のため北海道・旭川市内の病院で死去した。75歳だった。昨年5月に脳内出血で倒れ、闘病を続けていた。通夜は19日午後7時から、告別式は20日午前10時から、ともに旭川市のおみはなやメモリーホールで行われる。喪主は妻・森田(もりた)まゆみさん。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180419-00000068-sph-ent 死因に関しては昨年の5月に脳内出血で倒れており闘病生活を送っていたので、 その病気の延長であることが濃厚です。

森雄二 死去。死因・病名

長く都心で活動されていた森雄二さんですが、 90年代の半ばには拠点を旭川に移し、 過去の名曲を中心にライブ活動を行なっていました。 昭和の歌謡曲を愛するファンは、 ライブを調べ、わざわざ足を運んだそうです。 そんな中、昨年の6月にはディナーショーも決まっており、 晴れやかなステージの直前の5月に、病気で倒されてしまったのです。 昨年のディナーショーのチケットを持ってた方は、 今頃、やりきれない悲しみにくれていることでしょう。
森さんは95年より、東京から旭川に拠点を移し、ムード歌謡を中心としたステージに元気に立っていた。昨年6月に園まり(74)、湯原昌幸(71)らとディナーショーを行う予定だったが、同5月に脳内出血で倒れた。意識が混濁する中、入院生活を続け、最近も見舞い客の手を握り返すなどの回復も見せていた。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180419-00000068-sph-ent
森雄二さんは昨年の5月に脳出血で倒れると、 その後は入院し、長く闘病生活を送ってました。 そして年を越した2018年の4月18日に、 腎不全で亡くなりました。 お通夜は19日の午後からで、 告別式は20日の午前からです。 きっと昭和を代表する多くの音楽関係者が訪れることでしょう。 長くステージで歌い続けたタフさもあり、 今後の業界の中で尊敬するべき歌手として語り継がれることだと思います。 5年前の2013年にはボーカルの田村修三さんが肺炎で倒れ、 次の年の2014年に52歳の若さで亡くなってました。 短い期間に偉大なメンバー2人をなくしたとして、 今後のサザンクロスは機能的に解散だと見られます。

サザンクロスのリーダーとして(画像・代表曲・動画)

70年代と80年代にヒット曲を残した、 「森雄二とサザンクロス」ですが、 90年代に入って以降も、精力的にライブ活動を行なっています。 一度は解散したものの、1995年に再結成すると、 多くの当時のファンがディナーショーに駆けつけました。 2010年代にも、きっと素晴らしいライブが見れると思っていた矢先、 中心メンバーの田村さんと森雄二さんが亡くなってしまったのです。
森さんは東海大卒業後に、敏いとうのグループに加入しボーカルを担当。75年に4人で「森雄二とサザンクロス」を結成した。 あなたとならば 血のでるような…で知られる「意気地なし」は、いまでもカラオケの人気曲。多くのご当地ソングも歌い、81年の「好きです―」は、さっぽろ雪まつりのテーマソングに起用されるなどヒットした。最近は、92年にオーディションで選ばれた3代目ボーカルの山口晃生(59)、バックコーラスの奥野広道(65)と3人組だった。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180419-00000068-sph-ent 森雄二さんがバンドに入れない時期は、 メンバーはやまぐちさん、奥野さんなど3人で活動されていました。
カラオケの定番曲を引っさげての活動であっても、 やはり森雄二さんがいないユニットには寂しさがありました。 「足手まとい」「ひとりじめ」「三ノ宮ブルース」「母性本能」などの代表曲は、 今後も長くカラオケの定番として歌われることだと思いますが、 若者文化が進んでいくと、ちょっとずつ耳にしなくなるのかなと思うと寂しいです。 今は動画サイトなどの影響が強いので、 サザンクロスの過去の映像などの視聴があるので、 現代の人たちの心も救えるような存在であって欲しいです。 尊い歌手が亡くなるのは、本当に辛いことです。。]]>